今の日本で問題なのは、日本がこうして存在していることを当たり前のように思ってる人々が沢山いることである。この世は全てバランスで成り立っているということに少しは想像力を働かせて欲しい。存在させてきたからこそ存在するのであって、そのことを忘れれば危うい。物が静止しているように見えても目に見えない力が働いている。重力は一瞬も休むことなく作用しているのである。つっかえ棒や浮き輪がなくなれば、倒れるし、沈むのである。これまでの尊い犠牲にうえに今の日本があることに思いを馳せるべきである。
また、特に日本の周辺国が、実は、属さをする存在、つまり、実態としては敵対国家であるという現実から目を逸らせて人類皆兄弟平和ボケ教に浸るのももうこの辺で止めにしてもらわなければならない。そんなお題目をいくら唱えても、拉致家族、竹島、北方領土、ガス田のガスは還ってこないし、世界平和も訪れない。宗教ではないのだから信じても救われない。それが現実の世界なのだ。憲法第九条とは、警察組織のない町で山賊がいるのに自ら手錠をして歩くようなものである。
日本は、戦後60年という長い年月に亘って憲法第九条による平和を盲信してきたが、もう限界であろう。答えは出ている。外国が日本の平和を守ってくれるわけではない。逆に日本の平和を脅かしているのが外国である。ちょっかいを出されても自分で自分の国を守ろうとしないでどうする。攻めてきたら叩き潰すという覚悟のない国はいい鴨でしかない。そろそろ長い夢から覚醒し現実を直視すべきである。
話が他し脱線したので元に戻そう。
忘れてならないのは、天皇が人々から慕われ、敬われるのは、誰にも侵すことのできない尊い存在だからである。壊れやすいから尊いのである。神秘性と言ってもいい。皇族からでなくてはなれない存在だから天皇なのである。ところが、ワンポイントの女性天皇(子供は皇位を揃承しない)ではなく、女系天皇(子供が皇位を揃承する)を認めるということは、男子にしか伝わらないY染色体がそこで途絶えてしまうということになる。その後はぶつ切り状態となる。これは、日本の歴史とともに今まで連綿と受け揃がれてきた神秘性がなくなることを意味する。即ち、皇統断絶である。もはや天皇とは言えない。人々が天皇に権威を感じる根拠ががなくなるとどういうことになるのか。恐ろしい結末である。
権威のある存在 → 権威を感じない形式だけの存在 → 誰でもいい、どうでもいい存在 → 邪魔な存在
つまり、天皇なんていなくてもいいということになる。
小泉がやろうとしていることは、天皇制の存続ではなく、廃止なのである。
存続に名を借りた廃止であるということに気付かなければならない。
実は、その兆しは既にあった。先の衆院の郵政民営化解散で、小泉は天皇陛下を軽んじたのである。何のことかと言えば、参院で否決になった後、衆院で再度採決する手続きを経ることなく解散に及んだことである。あの解散は、内閣総理大臣が行う解散ではなく、天皇の国事行為としての解散であった。わざわざ天皇陛下のお手を煩わせようとするのであれば、人事を尽くしてから奏上する義務があると考える。なぜならば万が一にも間違いは許されないからである。あらゆる可能性を潰して、これしか方法がないと言える状態になって初めて陛下に奏上できるのではないだろうか。良識によるチェックが必要である。国論が二分しているだけでなく手続き的にもケチがつくような内容をそのまま持ち込むということは、普通ならあり得ない。陛下の前に出しても恥ずかしくない状態にしてから奏上しなくてはならないはずだ。神に誓ってこれは正しい内容と言える状態にしているはずだからこそ天皇陛下は臣下に全幅の信頼を寄せて同意することになるのである。あのごり押し解散で小泉は自らの野望を遂げるため畏れ多くも今上陛下を道具として使ったのである。天皇陛下を敬う気持ちは小泉からは感じられない。小泉は不敬罪と言えよう。
よしんば形だけの天皇制が存続したとしても悪用されかねない。皇室さえ乗っ取ることが可能となるからだ。時の権力者が自分の子供を皇室に送り込みその子を天皇にして国を支配しようとすると結果として混乱の世を迎えてしまうのは歴史が証明していることである。どこの馬の骨でも外国人でも皇族として創設され天皇の父親になれるということは、小泉言語を使えば天皇制の民営化なのであろうが、完全に間違っている。日本にとって良いことではない。国の存続を担保してきた仕組みが今正に破壊されようとしている。
廃止はもとより天皇制を形骸化させることは、総理大臣の権力を唯一無二で最強のものとすることと同義であり、これは大統領のような総理大臣を目指して独裁色を強めている小泉を見ると十分に動機があることである。彼が行っているのは日本社会の構造改革ではなく破壊である。



