2006年04月28日

絶滅危惧種 日本人

 ひとつの見方

 長いこと日本は性善説で生きてきました。皆がこの島の中で肩を寄せ合って仲良く暮らしていくための究極のシステムです。善意には善意で応える、他人が不幸にしているのを見過ごせない、つまり自分だけでなく他人も幸せでないと本当の幸せと感じないという感性の人々です。「和」を大事にする集団です。島国という閉ざされた空間で、しかも他民族に蹂躙されたことがないからこそ育んでこれたのだと思います。世界でも例を見ないでしょう。ある意味世界遺産です。

 然るに、その類なき条件は先の大戦で戦勝国によって蹂躙され破られてしまいました。日本が持っていた価値観が、ともすれば否定され、異なる価値観を持つ者達が自由に日本に住むようになりました。それと呼応するかの如く国内で悪しき輩が跋扈するようになったのが一番の問題です。近年は国際化とかグローバル・スタンダードの名のもとに日本的なものを排除する風潮が広まり更に拍車がかかっています。日本人は絶滅危惧種になってしまったのです。

 ところで、性善説に基づく社会というのは、実は非常に効率のいい社会だという側面があります。このことを先に知っていてそのような社会を作ったのか偶然なのかは知りませんが、これは全員の協力がなければできないことです。貧者が道を踏み外して悪事に走るのだとしたら、そうならないよう人の道を説く、或いは加えて施しをして未然に防止する社会が低コストです。極論すれば、泥棒がいなければ鍵をかける必要はないし、そもそも悪人がいなければ警察はいらないのです。

 逆を考えてみると分かりますが、悪人が普通にいる社会で身体財産を守るには大変なコストがかかるということです。公権力すら信用できない社会は悲惨です。最近では犯人を捕まえられないので至る所にビデオカメラが備え付けそれを頼るようにさえなりました。駅、銀行、コンビニ、繁華街、このままでいくと設置義務化が始まるかもしれません。既に警察は昭和62年から幹線道路にNシステム(自動車のナンバープレートを自動で読み取る装置)を設置しています。オウム事件の時に車の移動を捕捉していました。

 Nシステム
 http://ja.wikipedia.org/wiki/N%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0

 昔見たレイ・ブラッドベリ原作の「華氏451度」という映画では焚書の他に町中にビデオカメラ(マイク付き)を付けて人民の思想統制を行う未来社会が描かれていましたが、設備面では正にそんな時代になっています。悪用されないことを願っています。

 善意を施せば善意で返される社会では最も善なる人が人々から敬われる幸せな存在だと考えがちですが、実は性善説の社会で得をするのは悪人です。悪人にしてみれば他人を疑うことを知らない社会では赤子の手を捻るかのような容易さで利益を得ることができるからです。もっと端的に言えば、悪人と善人が対峙した時に得するのは悪人であって決して善人ではないということです。直近の例が竹島問題です。南鮮は武力で不法占拠を継続しています。

 例えば、西部劇で牛泥棒と保安官が何故か1対1の撃合いで決着をつけることとなった場合、果し合いに応ずるまでもなく保安官には有無を言わさず逮捕する正当な権利があるので例としては不適当かもしれませんがそれはさて措き、今正に銃を抜くか抜かないかの時、あくまでも平和的な解決をということで刃傷沙汰を避けるために保安官が「俺はお前を傷つけたくないから抜かない。だから大人しくお縄を頂戴しろ。それが道理だ。」と言って抜こうとしないなら牛泥棒はまんまと逃げおおせるか下手すれば保安官は撃たれて死んでしまうという結末になります。

 仮に生き延びても臆病者というそしりを甘んじて受けるほかなく、以後、悪人どもは勿論住民からも犯罪を解決できない保安官として軽んぜられ、職責を果たすことができなくなるということです。人の善意を理解できない者に対していくら譲歩を重ねても状況は変化しません。それはそれで安定した関係だからです。その関係を変化させるためには対応方法を変える必要があるのは言うまでもありません。悪を駆逐する毅然とした態度が必要なのです。

 性善説社会の日本ですが、勿論、悪人がいなかったわけではありませんし、みせしめとも言うべき極刑もありました。それは秩序を守るためのものであって、社会の仕組みとしてははるかに善意を醸成することに腐心していたと思います。日本人は物作りではとことん理想を追求し完成型を目指す習性がありますが、その何事にも理想を追い求める日本人の究極の哲学が「武士道」と言えます。
 「武士道」
新渡戸 稲造(著)、岬 龍一郎(翻訳)

 この本を最初手にして数行読み進んだ時、
思わず居住まいを正しました。
 テレビをつけながらとか、
寝そべってなどでは読めない。
 心が平静な時にきちんと背筋を伸ばして
でないと読めない、そんな本です。
 是非、御一読を。


  



 皆が身の処し方を弁えていれば、そこには法も強制力も必要ないということです。少し脱線しますが、敵に塩を送った上杉謙信の深層心理は知りませんが、正々堂々とした勝ち方、つまり天下人となった場合に備えて天に恥じない理想的な勝ち方を追求した部分があると思います。

 翻って今の国会議員を見ると嘆かわしい限りです。国会議員が不祥事を起こしても辞めさせる法規定がないことをして保護すべき特権かのように言う場合がありますが、それは殆どの場合こじつけです。国会議員たる者を武士に例えればそもそもそのような不祥事は起こさないし万が一起こしてしまった場合は自分で身を引くからわざわざ法で規定する必要がない、むしろ不祥事を起こすことを予期して法で規定することは失礼にあたるということです。

 歴史を振り返る場合気を付けなければいけないのは、現代に生きる我々の世界観では推し量れないところが多分にあるということです。テレビもラジオも毎戸配布の新聞もない時代のことです。あらゆる手段で正しい社会を一生懸命保とうとしていたと思います。仇討ちという制度もありました。喧嘩と火事は江戸の華と言うように失火や意図した放火で罪人が牢屋から解放されても判別できるように入れ墨をしたり、そのような放火は大火に繋がってしまうので避けるべきと考えて牢獄に繋がず江戸処払いを科したり、無益な殺生を避けるために遠島を申し付けたりしたのは当時に遡って考えれば非常に考え抜かれた制度だと思います。時には大岡裁きのような粋な裁きもあったかもしれません。

 死刑の歴史
 http://www.ritsumei.ac.jp/~ja013043/2.html
 江戸の処罰(鬼平楽〜江戸時代の話〜)
 http://page.freett.com/itidiku/mokuji/zatugaku/index/edo_index.htm
 第2回/江戸時代の刑罰あれこれ(天罰屋くれない 闇の始末帖)
 http://www.tv-asahi.co.jp/kurenai/contents/ura_01/0002/

 大岡忠相
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B2%A1%E5%BF%A0%E7%9B%B8

 上で紹介したページを見て残酷な部分があったではないかという方もいると思います。しかしそれは今しか知らない人が言う台詞だとも言えます。当時としては必要だったと理解すべきです。もし日本人が殺戮に快感を覚えるほどではないにしても本当に残酷な民族であったならば、情けをかけるなどという言葉は存在しないと思います。皆殺しという概念は日本人には受け入れられなかった大陸ならではのものだと思います。平家が滅んだのは驕ったからだと言われていますが、源氏の血筋を根絶やしにしないで逆に保護した(頼朝や義経のこと)ことを見過ごしてはいけません。何故敵を生かしたか。森羅万象に神々が宿ると信じている日本人としては無益な殺生はしないということが根底にあるのではと思います。

 脱線が長くなったので本題に戻します。

 上に立つ者が正しい生き方を見せれば庶民は自ずと感化されます。お天道様が見ている、世間に顔向けができない、世間体が悪い、えこひいきするな、情けは人のためならず、などいろいろな言葉が日本語にはあります。これは他者の立場に立って自分を見るという客観的な見方です。つまり、無私、自分を捨てているのです。かなり高度な物の見方になります。利己的なものを削ぐことに価値を見いだす生き方です。何時如何なる時でも公平中立を貫くのは恥を畏れる文化と重なってきます。

 そのことと反日自虐史観が相まって悪さをしているのが庶民の良心であるべきはずのマスメディアです。

 マスメディアの問題を指摘する前に公平中立の例をいくつかあげておきましょう。大相撲は日本の国技であり、伝統のある古くからの神事ですが、その勝負の判定には最新の科学兵器とも言うべきビデオカメラが使われています。ものすごい取り合わせですが、誰もが納得できる結果を求めてのことだというのは一目瞭然です。何事にも理想を追求する日本文化としては当然の帰結です。更に凄いのは行司の他に審判が複数いて物言いという制度があるところです。そして丁寧なことに判定についての説明をします。元々、神事だから間違いは許されないということもありますが、これほど公平を追求した制度はないでしょう。

 一方、合理主義であるはずの欧米発祥の野球やサッカーでは未だにビデオ判定は導入されてはおらず審判の主観によって見事に左右されています。先のWBCでのおかしな判定やホーム・チームに有利な判定は当たり前というサッカーの試合が証明しています。

 マラドーナの神の手というのは明らかなハンド(反則)であり、神を冒涜する表現だと苦々しく思う宗教者もいるかもしれません。また、芸術点を採点する体操競技、フィギア・スケート、シンクロナイズド・スイミング果てはスキーのモーグルやジャンプ競技では各国の審判員による自国選手への厚顔無恥とも言うべき手前味噌な採点が横行しています。こういうやり方は争いの種になります。納得できない負けというのは受け入れることができないからです。

 これに対して日本人の審判は公平中立を心掛けます。審判として恥ずかしくないようにという気持ちがそうさせているのです。審判としての誇りです。これは結果として和を尊ぶことにつながります。しかしながら、自国の選手に有利に判定するのが当たり前という世界にあっては正直者は損をします。先の保安官同様悪人が得をするのです。それを目の当たりにする日本人は葛藤しつつもつい我を忘れて彼らのレベルまで落ちていきがちなります。「朱に交われば赤くなる」のです。親が子供に友達を選びなさいと言うのは国に対しても当てはまることです。支那・朝鮮(私のパソコンでは「キチガイ」と入力すると変換される。)は隣人として避けるべき相手です。価値観が全く異なり対話すらできない相手です。

 大陸にあるのは輝かしい歴史などではなく侵略と略奪の歴史です。異民族による蹂躙もあります。広大な大陸に様々な民族が同居するのだから仕方ありません。争いに明け暮れ、勝つためには何でもありの手段を選ばない暗澹たる世界です。「騙すより騙される方が悪い、力こそ正義、金こそ全て、過去も未来も関係ない今こそ全て」を貫かないと生き残れない世界です。日本人とは生き方が180度違う世界です。半島も大陸の一部でしかありません。

 話をマスメディアの問題に戻しましょう。公平中立なのは日本の審判ばかりではありません。マスメディアもそうなのです。ニュースや新聞の内容を見ると一体全体どこの国のメディアかと疑う毎日です。中立の第三国、ともすれば朝鮮の新聞の見出しではないのかと見紛うばかりです。元々、公平中立な第三者的見方をしているところに反日バイアスがかかって自虐に陥ってしまっているのです。

 対外的には無私であってはいけないのに外国にどう思われているかを伝えることが主題と勘違いしているようであり、結果として相手の嘘をそのまま垂れ流すことになっています。これでは相手の代弁者です。ニュースは正しいことを伝えるものだという先入観がある社会でこんな見出しを毎回見せられると日本は悪いことをしていると勘違いしてしまいます。これで洗脳されては堪りません。新聞とはその国の世論を代表するものです。相手も見ているのです。相手の言い分を認めていると外国に勘違いされてはもっと堪りません。

【インターネット上で見られたニュース見出し】
  • <盧大統領>竹島問題で批判「侵略の歴史を正当化する行為」(毎日新聞) (18日22時25分)

  • 主張平行線22日に再協議 竹島調査で日韓次官会談(共同通信) (22日0時55分)

  • 海洋調査、日韓の主張は平行線…22日再協議? (4月22日 02:13)

  • <盧武鉉大統領>「竹島」挑発に断固対応 テレビで特別談話(毎日新聞) (25日11時46分)

  • 「話にならない」 韓国政府、強く反発(共同通信) (26日21時56分)

  • 韓国大統領が対日談話 竹島問題、歴史とからめ強く批判 (04/25)

  • 「過去の侵略正当化」 竹島調査計画で韓国大統領批判(04/18)




  • ×日韓双方が領有権を主張する竹島
    南鮮が軍国主義で侵略し不法占拠を続けている我が国固有の領土である竹島

    ×日韓の主張平行線
    非を認めない傲慢な南鮮

    竹島問題
    http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/index.html
    1.我が国の一貫した立場
    (1)竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土である。
    (2)韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではない。
    (注:韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立した以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていない。)

     正義を主張しない外務省にしては貴重なページです。いつ南鮮に阿る内容に変更されるかとヒヤヒヤしていましたが、まだ残っているみたいです。主権を侵害され続けているばかりか、強盗犯からは盗まれたと言うなと毎日のように言われているのにしっかりと反論もできず、ましてや、実力行使もできず、こうしてホームページに控え目な主張を載せておくことしかできない国、それが今の日本です。


    blogranking01←日本の行く末が心配な方はクリックをお願いします。

    blogranking_fc4←日本を少しでもよくした方がいいと思う方はクリックをお願いします。
    posted by 日出づる国の末裔 at 23:53 | Comment(0) | TrackBack(5) | 内政 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
    この記事へのコメント
    コメントを書く
    お名前: [必須入力]

    メールアドレス:

    ホームページアドレス:

    コメント: [必須入力]

    認証コード: [必須入力]


    ※画像の中の文字を半角で入力してください。
    ※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
    この記事へのトラックバックURL
    http://blog.seesaa.jp/tb/17163889
    ※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

    この記事へのトラックバック

    野性の証明
    Excerpt: 5月2日(火)、昼ご飯どきのテレビで腑に落ちるものがあった。
    Weblog: 星空の下で
    Tracked: 2006-05-04 01:13

    科学から神学(かがく)へ・016
    Excerpt: 今の世の中では、科学と言えば、優れたもの、進歩したもの、素晴らしいものと思って、科学万能の世のように賞讃していますが、本当にそうでしょうか。科学の進歩は、人類の文明の発展に役立っていて良いように思って..
    Weblog: ◆ 本 来 ◆
    Tracked: 2006-05-05 23:29

    第74号 共謀罪第2ラウンドに向けて
    Excerpt: 連休明けには、共謀罪第2ラウンドが始まる。我々はこれに負けないためにも、今回提出されている案件が更に破壊力を増している事を知り、敵以上に迅速な行動を取る事が求められる。
    Weblog: 帝國愁報
    Tracked: 2006-05-07 18:44

    知らず知らずのうちに現れるのが本能
    Excerpt: 巷では、何故負けてしまったのか、どうすれば勝てたのか等について、1億総評論家状態になっている。フェアプレーでの実力勝負ならまだしも、よりによって反則をきちんと取り締まれない審判による誤審が大きく影響..
    Weblog: 星空の下で
    Tracked: 2006-06-17 00:33

    第90号 安倍晋三と「知られざる拉致問題」
    Excerpt: 安倍晋三は、6500人もの日本人女性が闇の中に消えた、「知られざる拉致問題」に手を貸す国賊である。だからこそ北朝鮮拉致問題は解決しないのである。
    Weblog: 帝國愁報
    Tracked: 2006-06-23 03:19
    ×

    この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。