2006年06月17日

知らず知らずのうちに現れるのが本能

 巷では、何故負けてしまったのか、どうすれば勝てたのか等について、1億総評論家状態になっている。フェアプレーでの実力勝負ならまだしも、よりによって反則をきちんと取り締まれない審判による誤審が大きく影響したのでは憤まんやるかたない。見ている方も納得できないが、何より選手がかわいそうだ。

 「絶滅危惧種 日本人」でも書いたが、サッカーに限らず、スポーツには大相撲のように物言いの制度やビデオ判定を導入すべきである。なぜ導入しないのか不自然極まりない。納得できない結果に終わるからフーリガンが発生し暴れるのだ。

「PKなら状況違った」=ジーコ監督が主審を批判〔W杯〕
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060616-00000019-jij-spo
 【ボン15日時事】日本が逆転負けを喫した12日のオーストラリア戦で、日本に与えられるPKが見過ごされたと、国際サッカー連盟(FIFA)が指摘したことについて、ジーコ監督は15日、「あれがPKであれば、状況はまったく違っていた」と語り、敗戦に誤審の影響があったとの見解を示した。
 誤審と指摘されたのは、日本が後半1−1に追い付かれた後、ペナルティーエリアで駒野(広島)がケーヒルに倒された場面。ケーヒルはその後、勝ち越し点を決めた。
 日本サッカー協会の川淵三郎会長は「FIFAがそこまで認めるのは珍しいが、今ごろ言われても遅い。そういうこと(誤審)も含めてサッカーだからね」と改めて問題視しない意向を示した。
 また、ジーコ監督はエジプト人主審が日本の前半の中村(セルティック)のゴールについて「日本FWのキーパーチャージで反則だった」と豪州GKに発言したとされることには、「あってはいけないことだ」と批判した。 
(時事通信) - 6月16日5時30分更新

 ケーヒルは既にイエローを1枚貰っていたから退場になったはずなのだ。しかも、そのケーヒルがその後2点も入れているのだから怒りが収まらなくて当たり前だ。

 何はともあれ、国民が皆サッカーに関心を持って賑やかなのはよい。応援にも力が入るというもの。次のクロアチア戦が楽しみだ。

 彼らがあれほどチャンスがありながら何故2点目を取れなかったかについて、見て感じたことを述べてみたい。選手交代とかシステムとか監督の采配に関係する部分ではない切り口で書いてみる。詰まるところ幾度となくあった決めるべき時に決めなかったのが主たる敗因と言われているが、では、なぜその好機を生かせなかったのか。選手の気持ちの問題だと言われればそれまでだが、彼らだって勝ちたかったはずだ。

 これを紐解くために、その時ピッチ上で日本選手達は何を考えていたか想像してみよう。

 まず、1点目について考えてみる。

 1点目は、結果的にシュートのようにそのまま決まってしまったが、そもそもの意図は、高原か柳沢のヘディングを狙った中村のクロスであったのは誰の目にも明らかである。従って、偶然入ってしまった儲けもののラッキーなゴールという印象がある。ゴールを狙ったボールではないからだ。

 その後の展開は、日本はチャンスを作るものの点には結びつかず、逆に、危ない場面がいくつもあったが、川口の好セーブに助けられ、今日はなぜか負ける気がしないと思っていたはずだ。

 さて、ここから今回の物語がはじまる。

 あのようなゴールをした後、彼らの深層心理には何も浮かんでこなかったのだろうか。

 私が思うには、無意識のうちに日本人としての本能みたいなものが出てしまったのではないだろうか。

 つまり、勝ちは勝ちでもまぐれ的に勝ったのでは潔くないと思ってしまったのではないだろうか。特に、ワールドカップという晴れの舞台では、強い者が勝つということを示す必要がある。貰ったゴールではなく、力ずくで奪ったゴールでなければならないのである。特にFWはそう思ったはずだ。

 そこで彼らは知らず知らずのうちに、決定的なチャンスを作って美しいゴールを決めなければいけないと思ってしまったのではないだろうか。ワールドカップ第一戦勝利を誇れるよう、勝ちに相応しい内容を作ろうとしたのではないだろうか。そういう意識がチームを支配した。W杯には魔物がいるのだ。

 今回、日本チームがサムライ日本と呼ばれていることも少なからぬ影響を与えていたのかもしれない。侍の名に相応しく潔い勝ちを意識したのではないだろうか。

 その結果、「どうでもこうでも点が入ればいい、格好が悪いシュートでもいい、兎に角シュートするんだ、そうすれば、何が起きるか分からない、入るかもしれない」という泥臭い勝ち方ではなく、絶対に点が入ると確信できる決定的なチャンス下においてこれぞゴールだという美しいシュートを決めようとしたのではないだろうか。だからゴール前で幾度となくシュートチャンスがあったにもかかわらず、より良いチャンスを求めてパスを出してしまったように思う。攻めに時間がかかればかかるほど相手の守備が整いチャンスは逆に少なくなるというのに。

 恐らく彼らは勝利を確信して慢心したわけでも自意識過剰になったわけでもないと思うが、私が思うには、無意識のうちに上で述べた心理が奥深いところで働いて知らず知らずのうちにプレーに表れていたのではないかと思う。

 サッカーは、点取りゲームなのだから点を多く入れた方が勝つ。守っても勝てない。攻撃は最大の防御である。豪州はそれを忠実に実行してうまくいった。

 日本チームには是非勝って欲しい。入ると確信してから撃とうとするな。そんな機会は訪れるものではない。とにかくシュートすれば何本かに一本は入るはずだからドンドン撃って欲しい。ふと、中山ゴンのことを思い出した。ビート・タケシ扮する鬼瓦権造に顔が似ているからゴンと学生時代呼ばれたそうだが、彼のように泥臭くゴールを狙って欲しい。

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posted by 日出づる国の末裔 at 00:33 | Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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