2006年08月19日

分祀とは…新聞もテレビも政治家も大嘘吐きである

 合祀の反対語が分祀ではない。
 分祀の「分」とは、忍法分身の術の「分」である。即ち、複製をつくることである。

 アジア外交とは、支那・朝鮮の御機嫌をとることだと勘違いしている馬鹿がいるが、逆だ。できるだけ支那・朝鮮を日本に寄せ付けないことに尽きる。
 呼びもしないのに家に入り込んでくるストーカーや寄生虫は、はねつける必要がある。たとえそれが隣人と雖も他人は他人、隣人が善人であるという期待はあっても法則はない。ましてや我が国に害をなす害人であれば尚更である。とっ捕まえて懲らしめなければ再発を防げない。

 過去の記事とだぶる内容もありますが、あまりにも騒々しい終戦記念日だったので久しぶりに徒然なるままに一言。

【関連記事】
靖国に戦犯はいない      http://understarrysky.seesaa.net/article/16787717.html
靖国に戦犯はいない その2 http://understarrysky.seesaa.net/article/16835688.html
嘘が罷り通る国         http://understarrysky.seesaa.net/article/18931505.html

A級戦犯は悪い人なの?

 まるで悪事の限りを尽くした悪魔の代名詞のようにあらゆる分野で使用されている「A級戦犯」という創作語についてであるが、靖国問題でA級戦犯呼ばわりされる方々は本当にそれほどの悪人だったのだろうか。支那・朝鮮や反日マスゴミは事ある毎にA級戦犯の存在を問題視するがそのA級戦犯のどこが悪くて許せない部分なのか説明しない。ここにトリックがある。悪いからA級戦犯になったのではなく、A級戦犯だから悪いというレッテル貼りをしているのである。Aというアルファベットの一番目の文字が使用されているのでその効果を最大限に利用している。百歩譲って仮に悪い部分があったとしても一旦祀った霊を廃棄せよなどという非常識な批判にさらされるほどの「平和に対する罪」を犯したのだろうか。一人一人個別にその中身を説明して欲しいものだ。一体どれほど平和に対して罪をなしたのか。死刑にならなかった他のA級戦犯とどこがどう違うのか。それができないようでは悪質な名誉毀損でしかない。御遺族に謝罪すべきであろう。ここに極東国際軍事裁判の化けの皮がある。魔女でない者を魔女と断罪したのが魔女狩り裁判であるが、災い事の責任をとらせる目的で誰かを魔女にしたのと同じに見えて仕方がない。
 仮に自分が当時の彼らの立場であったならば彼らとどの位違う行動をとれたのだろうか。彼らはそれなりに最善を尽くしたはずだ。「たら」、「れば」論は過去を知る我々にならできるが、彼らは未来を知らないばかりか敵情すら知らないのである。これほどの仕打ちを受けるほどの「平和に対する罪」を彼らは当時犯したのだろうか。何も彼らに戦争責任がないとまで言っているのではない。負け戦となったことに対する責任は当時の戦争指導層にあると言わなければならない。しかし、忘れてならないのは、絞首刑にされた方々は日本の名誉を守り誇り高きサムライの心を持った日本人として潔く結果責任をとっているという事実である。

 私は言葉狩りには反対の立場であるが、いろいろな場面で「A級戦犯」を「悪事の責任者」とする無造作で心ない喩えを見聞きするといたたまれない気持ちになる。少しは本人や遺族のことを考えて欲しい。連日連夜世間からダニのように邪魔者呼ばわりされているのである。

 今なお罪人呼ばわりされ続ける一因は小泉にもあると言わなければならない。小泉は取り返しのつかない多くの過ちを犯した。
1 「心ならずも」と進んで尊い命を捧げた御英霊を冒涜したこと
2 「罪は罪として」と国内法では何ら罪人にはされていない方々を罪人扱いしたこと。しかも絞首刑により償いは果たされてもいるにもかかわらず。
3 そのA級戦犯に参拝しに行くのではないと除外の意志を明らかにしたこと
4 「分祀」という言葉の間違った用法が国内外に蔓延するのを黙認し、正しい意味(分身をつくる)を追いやったこと
5 私的参拝を強調し公式参拝の道を閉ざしたこと
6 二礼二拍手一礼の形式をとらず参拝のマナーを無視したこと
 もっと言えば、いつ参拝しても支那・朝鮮が騒ぐのは同じだとようやく看破できたのであれば、年に一度ではなく何回も、例えば、あえて毎日でも参拝して、年に何回参拝しようと自由だと支那・朝鮮に言い放て。彼らの怒りが比例するなら365倍の怒りで狂死するはずだ。そうでないならその不快感は偽物だということになる。任期はまだある。彼らがどれほど本気なのか瀬踏みしてみればいい。おそらくさしたる変化はないだろう。むしろ変化して我が国と交流がなくなった方が好都合だ。外国と友好して損するのはいつも日本だからだ。

 極東国際軍事裁判において「平和に対する罪」という極めて抽象的で曖昧模糊とした罪名を急遽新設したのは何故か。罪としているにもかかわらず具体性に乏しければおよそ罪としての要件を欠いていると言わざるを得ない。何が罪で何が罪でないのかのはっきりとした線引きができないのである。ましてや事後法でもある。不利益不遡及という基本原則にさえ反する行為を恥ずかしげもなく強行したのである。あまつさえ裁判と呼ぶには問題のありすぎるいい加減な内容であった。勿論、日本人が国内法に照らして日本人を裁いたものでもない。これを勝者(外人)による私刑(リンチ)と言わずして何と言う。裁判の名を借りたリンチである。

 A級戦犯とされ死刑に処せられた方々の遺骨は米軍により東京湾に捨てられた。死刑にすることはできたとしても遺骨を捨てる権利まではないはずである。遺族でさえ遺骨を勝手に捨てることは犯罪とされる。それを遺族に渡さず東京湾に捨てるというのは一体どういうことなのか。窃盗罪にも該当するのではないのか。回収したくてもできない捨て方をしたのである。刑法に違反しているから悪いというのではなく、むしろ問題とすべきは人間としてどうなのかという本質的な部分であろう。これこそ「人道に対する罪」と言うべきである。遺骨の遺棄は、止むに止まれずではなく、戦争行為とは全く無関係に故意になされたのである。即ち、ユダヤ人を虐待したかどでナチスを裁くために急遽新設された「人道に対する罪」(C級戦犯 ABCの別は罪の軽重とは無関係)に該当させてもおかしくない。死んでもなおこんな非人道的な扱いを受けたA級戦犯とされた方々は立派な被害者である。こんな酷い行いについて米軍は謝罪した事実はあるのだろうか。おそらくないであろう。(平和に対する罪なるものを押しつけられ遺骨まで捨てられたA級戦犯の方々は昭和殉難者と呼ばれている。)
 戦争の勝利者には何でも許される。火事場泥棒旧ソ連も同様である。日本の敗戦が濃厚と見るや終戦の僅か6日前である8月9日に一方的に日ソ中立条約を破棄して日本に軍事侵攻し、終戦の翌日である8月16日に樺太、千島列島を侵略した卑怯者であり、100万人以上の日本軍将兵を極寒のシベリア抑留により長期間強制労働に従事させ数十万人も死なせたのである。これは戦後において実行された大量虐殺と表現すべきである。無事帰国に至っても体を壊していたために短命に終わった方も多い。これも彼らの言を借りればナチス同様「人道に対する罪」に該当すると言わなければならない。
A級戦犯
http://ja.wikipedia.org/wiki/A%E7%B4%9A%E6%88%A6%E7%8A%AF
>処刑された7人の遺体は横浜の久保山火葬場で火葬され、遺骨は米軍により東京湾に捨てられた。しかし、12月25日に小磯国昭の弁護人だった三文字正平が共同骨捨て場から遺灰(7人分が混ざった)を密かに回収し、近くの興禅寺に預けた。<

刑法
(死体損壊等)
第百九十条 死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、三年以下の懲役に処する。

シベリア抑留
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2%E6%8A%91%E7%95%99
>満州では停戦会談によって、武装解除後の在留民間人保護について、一応の成立を見たが、ソ連軍がその通りに行うことは少なかった。日本軍の崩壊した後の民間人は何の保護も得られず、暴行や略奪、強姦、殺害、自殺が相次いだ。<
>占領地域の日本軍はソ連軍によって武装解除され(その最中にソ連兵士によって殺害されたものも相当いるという。なお、このときのソ連兵には規律がなく、なぜ日本軍が負けたのか訝しがる兵士が多かったらしい。)、9月5日の山田ら関東軍首脳を手始めに、日本軍将兵、在満州民間人・満蒙開拓移民団の男性が続々とハバロフスクに集められた。彼らは日本(あるいは解放されたであろう祖国)に帰れることを期待していたが、ソ連は捕虜を1000名程度の作業大隊に編成した後、貨車に詰め込んだ。行き先は告げられなかったが、日没の方向から西へ向かっていることが貨車の中からでも分かり絶望したことが伝えられる。抑留された捕虜の総数は、作業大隊が570あったため、当初は57万名が連行されたと考えられたが、65万人というのが定説である。一説には200万人以上(アルハンゲリスキーの著作およびマッカーサー元帥の統計より)とも言われる。<
>従来死者は約6万人とされてきたが少なすぎるという指摘があった。近年、ソ連崩壊後の資料公開によって実態が明らかになりつつあり、終戦時、ソ連の占領した満州、樺太、千島には軍民あわせ約272万6千人の日本人がいたが、このうち約107万人が終戦後シベリアやソ連各地に送られ強制労働させられたと見られている。アメリカの研究者ウイリアム・ニンモ著「検証ーシベリア抑留」によれば、確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡者は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人が死亡したという。また1945年から1949年までの4年間だけで、ソ連での日本人捕虜の死亡者は、37万4041人にのぼるという調査結果もある。<

 悪魔呼ばわりされたイラクのフセインでさえ外国人ではなくイラク人自らの手によって裁かれようとしている。しかも正式な裁判の手続きに則っているようである。極東国際軍事裁判が魔女狩りであることに少しは後ろめたさを感じているから直接手を下していないと言えば彼らを買い被り過ぎであろうか。

 二度にわたる原子爆弾の投下でさえ今なお肯定してはばからない米国には吐き気をもよおす。市街地、それも人々が戸外に出ている通勤・通学時間帯をわざわざ狙って炸裂させたのである。威力測定のために市民を人間モルモットにしたのである。無差別爆撃による市民の大量殺戮こそ人類史上最大の「人道に対する罪」であろう。原爆を引き合いに出さないまでも東京大空襲をはじめ日本の各都市に対して行った無差別大量殺戮についても同罪である。だが、このことについて米国が罪に問われることもないし、謝罪も賠償も反省もない。むしろ原爆投下の責任さえも日本になすりつけているのである。そのために行われたのが日本人に対する精神破壊=反日歴史教育である。だから「過ちは繰り返しませんから」の主語が省かれ、当時の日本が悪いように解釈することが容易な表現になっている。しかし、日本人ならば、本来主語となるべきは、実際に原爆投下を命じたトルーマン米国大統領であると悟らなければならない。動物、植物を問わず、あらゆる生きとし生けるもの、お腹の中にいる胎児から老人まで一般市民を放射能の火で焼き尽くした彼らこそ裏に悪魔の仮面を隠している存在なのである。勝った側の悪事が問われることはない。勝った側は正義でなければならない。だから自己を肯定するほかない。そのために自国の歴史観を世界に広めることとなる。

 靖国問題で米政府が騒がないのは、突き詰めれば極東国際軍事裁判の正当性が問われるところまでいってしまうからである。下手すると矛先が変わり己の非が認識されては困るのでうやむやのうちに闇に葬りたいのである。臭い物には蓋をしてしまえというのが本音である。だが日本が支那・朝鮮によってでっちあげられた謂われのない罪を認めてしまえば、その後のアジア情勢の展開で困るのは米国のはずだということに気が付かないのだろうか。日本が愚劣な支那・朝鮮の言いなりなって軍門に下って困るのは日本国民だけではない。米国は未だに本質を見誤っているのであるからこれも正さなければならない。米政府は日本を擁護すべきなのである。

 戦後61年を経過しているが、世界各地で戦火は絶えない。それらは災害のように偶然起きているわけではない。何者かが意図してのことである。にもかかわらず誰一人「平和に対する罪」で死刑に処せられた者はいない。この地球上で「平和に対する罪」を犯したとして処刑されたのは後にも先にも彼らだけであるという現実、つまり、裁くうえで実効性がない罪であるという現実がある。すなわち「平和に対する罪」を問うこと自体、もはや、と言うより最初から当然にして無理があるという実態が見て取れるのである。

 「平和に対する罪」を裁くという行為は神により当然にして行われる正義ではない。国連はもとよりユダヤ教の神もキリスト教の神もイスラム教の神も裁けはしない。裁くためには有無を言わせない実行力が必要である。精神的にも肉体的にも完膚無きまでに相手を叩きのめした勝者によってしか為し得ないものであるという冷酷な現実にそろそろ気付くべきである。そしてその勝者が神に代わるほどとは言わないまでも真に公平中立な正義の存在であるという保証は全くないという現実にも。むしろ正義の名を騙る偽善的存在と言った方が分かりやすいかもしれない。

 別な言い方をしてみよう。
 国際法上、どの国にも交戦権はある。このことを換言すれば、どの国にも平和に対する罪を犯す権利があるということになる。馬鹿にでも分かる矛盾だ。これが現実の世界なのである。

 つまり、誰でもいいから何が何でも血祭りにあげるためにこさえた罪名としか言いようがないのが「平和に対する罪」の薄っぺらな本質なのである。彼らは罪を犯したから死刑に処せられたのではなく、死刑に処すため「平和に対する罪」という仰々しいものをなすりつけられたのである。
 「国際法上」という言葉を持ち出さないまでも、古今東西、自ずとどの国にも交戦権はあり、欧米列強の植民地支配の力に抗するために立ち上がったのが当時の日本である。負けるかもしれないが座して征服されるよりは一縷の望みをかけ一生懸命戦ったのがサムライ日本なのである。当時の世界情勢からすれば他に有効な選択肢が見当たらない状況まで追い込まれてしまったのが残念至極なのである。
 日本が負けたのも事実だが、結果論として、香港、マカオ等を除き列強による植民地支配が戦後地球上からなくなったのは日本が彼らに抗して立ち上がったことが大いに作用しているということも事実である。
当時は植民地を多く獲得することが当たり前であった時代であり地球上残された草刈り場がアジアであっただけのことである。支那・朝鮮は近代国家とは呼べない有様で、勿論、国家としての独立性を失っており、いつ日本に植民地支配の波が押し寄せてくるか分からない時代。不幸にしてその愚劣なアジアに隣接している日本は孤高を保つことを許されず、その波に呑まれないように立ち回らざるを得なかったのである。支配する側か支配される側どちらになるかを選ばざるを得なかったのである。それを当時からすれば未来社会である現在の価値観・世界観で断罪しようとするのは不適切極まりない悪意のある行為としか言いようがない。欧米列強が植民地支配をして搾取したこと、アフリカ人などを奴隷にしてこき使ったことなどは悪いことなのだが、過去のことを今断罪しようとしても無意味であることは普通の人なら分かっている。今となっては仕方のないことであり、それは歴史の流れの中の1ページとして今後の教訓としていくほかないという認識だ。人類がくぐってきた修羅場と言えよう。何事も経験することにより階段を昇るが如く一歩一歩民族としての進歩があるのである。(これは民族によって経験値が異なる。時差があるのだ。)

 それなのに未だに何故日本がこの世の悪のように扱われるのか。それは日本が負けたからに他ならない。スケープゴートにされているに過ぎない。極東国際軍事裁判は、戦勝国がそれまでの悪事をカモフラージュするために悪の原因を日本になすりつけるために行われたものであり、それは同時に日本国民の精神も永遠に痛めつける意図をもってしてなされたものなのである。そういう魂胆がなければ説明がつかない暴挙である。その勝ち馬に無賃乗車した支那・朝鮮が日本を精神的支配下におき搾取の限りを尽くそうという汚れた野望をなそうというのが靖国批判なのである。そこを突けば日本人が大騒ぎするからカードにして嫌がらせをしているのである。

 国のために尊い命を捧げられた方々が祀られている靖国神社を参拝するのは総理大臣として当然の責務であり、多くの日本人が望んでいることでもある。それを外国人がわざわざ邪魔立てするのは日本人の精神を土足で踏みにじる無礼極まりない行為であり、精神異常という言葉を遙かに超越した気狂いの行為としか表現できない。

 特に、今回、南鮮の国会議員は、わざわざ日本に来てデモ活動まで行っている。観光目的で入国したのであれば、目的外活動で豚箱に入れた後、強制送還すべきであろう。特に、外国の政治家が我が国でこれ見よがしに行う政治的活動を決して野放しにしてはならない。一事が万事である。来日した外人の中に日本の国旗である日の丸や我が国の総理大臣の写真・絵を足で踏みつけたり焼いたりした前科のある者が含まれている場合も入国を禁止すべきである。そのためにも北側国土交通大臣(創価大学卒)が愚行した支那人・鮮人の流入を助長するノービザ措置は即刻取り消すべきである。犯罪目的で入国するスリに名を借りた武装強盗団や誘拐強盗殺人集団は勿論のこと反政府活動を勝手気ままに行う外国人の流入を阻止できなくては国家の安全は万全なものとは言えない。色情狂の強姦魔を教祖とあがめる「摂理」という鮮人集団についても同様である。外国人の在留に「宗教」の資格があること自体が誤りである。即刻取り消すべきである。不良外国人が数え切れないほどいるのにノービザとは自殺行為である。これ以上日本人を危険にさらさないでもらいたい。
市民団体とウリ党議員、靖国参拝阻止に向け活動
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060812-00000003-yonh-kr
【東京11日聯合】小泉純一郎首相の靖国神社参拝阻止に向け、韓国の市民団体と国会議員らが11日、東京でそれぞれの日程を開始した。
 「靖国反対共同行動韓国委員会」所属の市民団体会員ら約150人は同日、首相官邸の前に集まり参拝反対を訴えた。その後は霞ヶ関に移動しろうそくを点しての集会を開催した。一行は小泉首相の参拝が予想される15日まで、東京全域を回り集会を行い、首相をはじめとする日本の政治家の参拝計画に対し強く抗議する計画だ。
 一方、与党・開かれたウリ党所属の金希宣(キム・ヒソン)、柳基洪(ユ・ギホン)、林鐘仁(イム・ジョンイン)、文学振(ムン・ハクチン)ら議員10人は同日、参議院議員会館で記者会見を行った。また、靖国神社に合祀(ごうし)されているA級戦犯の分祀(ぶんし)など47項目の公開質疑書を手渡すとともに、靖国神社付属の遊就館を視察した。
 議員らは声明を通じ「公約は守られるべきとして参拝を公言している小泉首相の発言は、韓国と中国をはじめとするすべての国に対する宣戦布告だ」と主張し、参拝中止とともに靖国神社の解体と平和的な追悼施設の建設を訴えた

非常識な権利侵害を通り越し、気狂い沙汰だ。
【中国】新華社「小泉首相の靖国参拝反対、日台韓が合同デモ」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060814-00000004-scn-cn
 8月15日の「終戦記念日」を前に、新華社は靖国神社周辺で小泉純一郎首相の靖国神社参拝に反対するデモが行われたことを紹介した。13日夜に実施されたデモには日本及び韓国、台湾から約1000人が参加し、さまざまな立場の人が首相の靖国神社参拝に反対していることを強調した。
 新華社は14日付で、デモに関して台湾、韓国、日本からの参加者から1人ずつを選び、それぞれの主張を伝える形で構成した記事を配信した。
 台湾からの出席者である高金素梅氏については、まず彼女が「台湾原住民」であることを紹介し、第二次世界大戦により戦死した台湾原住民の靖国神社からの分祀を求めていることを伝えた。また、アジアに平和をもたらすために、日本政府は歴史に正しく向き合う必要があるという主張も紹介した。
 また韓国国会議員の金希宣氏は、小泉首相の靖国神社参拝に反対する理由として「日本は過去の侵略の歴史を反省しないばかりか、靖国神社ではA級戦犯を英霊として祭っている。これは、かつて日本の軍国主義に踏みにじられたアジア諸国の人々に対する冒涜(ぼうとく)である」と述べたことを伝えた。
 更に、東京大学の高橋哲哉教授が、「小泉首相が靖国神社に5回も参拝したことは、日本の憲法にある政教分離の原則に反している」と、日本国内の法体系からみても、首相の靖国神社参拝は許されないと主張していることを紹介。
 「最近になり小泉首相は再び参拝すると公言している。このような挑発的な発言に、人々は憤慨している。参拝を絶対に阻止しなければならない」という高橋教授の発言を続け、首相の靖国神社参拝に多くの人々が強く反対していることを強調した。
 中国メディアはこれまでも、日本国内に首相の靖国神社参拝に反対する人々が多く存在することを強調する報道を続けてきた。逆に、靖国神社を参拝する政府首脳やそれを支持する人は「一部の右翼」と紹介している。日本との関係を好転させる政治環境が整ったと中国政府が判断した際に、国内に向けて「大部分の日本人は歴史を正しく理解し、一貫して日中友好を望んでいた」と説明するための材料を担保していると考えてよい。

 勝手に日本に来てデモを行うというのは攻撃をしかけているということになる。靖国神社を信仰しているはずもない者がその神霊的効果を問題にするとは全くもっておかしな話だ。いちゃもんに過ぎない。日本人に対する冒涜である。
 朝鮮半島や台湾出身者についても日本のために戦ったのだから今に生きる日本人が分け隔てなく慰霊しているのである。亡くなられた御本人だって靖国に祀られるつもりであったろう。感謝されこそすれとやかく謂われる筋合いのものではない。日本が負けて悪者にされたからその悪者から親族を除外することにより第三国人つまり勝者(似非)として勝ち誇りたいという潔くない主張なのだろうが、除外するもなにも信仰していない者にとっては痛くも痒くもない話なのであるからその訴えが成立しないのは明らかである。気にしなければいいのである。これが気になってどうしようもないというのは、それは重大な精神疾患があるかある目的達成のために嘘をついて日本を攻めているかのどちらかである。
 例えば、イスラム教の指導者であったイランのホメイニは小説 『悪魔の詩』 の原作者及び発行人に対する暗殺指令を出した。そして日本語版の翻訳者が何者かによって惨殺された。(原作者が殺されないのに翻訳者が殺されたのは偶然なのだろうか、日本が無抵抗だと知っているからだと言えば過言だろうか。)
 理由はどうあれ宗教指導者が暗殺指令を出す宗教というのは間違っている。だからイランのイスラム教徒に対してそんなもの信仰するなと言いたいところだが馬の耳に念仏だと分かっているから誰もそんな非現実的なことは言わない。彼らを言いなりにさせるためには武力で征圧して言うことを聞かせるしか方法がないからだが仮にそんなことをすれば火に油を注ぐのと同じだと分かっているからだ。取り返しのつかない争いになる。滅ぼすしかないからだ。彼らの教義によれば棄教は死刑とされているから改宗するわけがないし、こっちとしてはそんな間違った宗教は信じていないから神霊的効果は認められない。だから彼らがどんな祈りを捧げようと無駄なことだと思って意に介さないようにするほかない。これが現代に生きる大人の対応ということだろう。お互いに譲れない部分は平行線のままでもそれ相応の付き合い方はある。それを我慢できないと喚きたてる支那・朝鮮は自分達が何をやっているか自覚できない生来の我が儘な馬鹿なのではなく何とかして日本を滅ぼそうとしている気狂い集団と言わざるを得ない。
 実態として多神教の日本人だから異教徒に優しいのかもしれないが、同じ一神教のユダヤ教やキリスト教がイスラム教と対立した時はそうはいかなくなる。宗教戦争が起こる。支那・朝鮮は多神教社会の寛大な日本に感謝すべきである。だが我慢にも限度があるということを忘れるな。イスラム社会に行って彼らの信仰を批判すればどのようなことになるのか少しは想像力を働かせてみればいい。

 国内にも支那・朝鮮に迎合する主張をする者達がいるが、国益を害してまで外国に媚びを売る必要などない。一部の企業の儲けのために日本人が安心して暮らせる環境を害すのは売国行為と呼ばれても仕方ない。他に呼びようがない。その儲けと言ったって一時的なものに過ぎない。共産党独裁の粉飾経済国家支那のバブルはいずれ崩壊し、進出している企業は大損するだろう。それは自業自得だが、国を売ってまで儲けようとするなということだ。
刑法
(礼拝所不敬及び説教等妨害)
第百八十八条 神祠、仏堂、墓所その他の礼拝所に対し公然と不敬な行為をした者は、六月以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。
2 説教、礼拝又は葬式を妨害した者は、一年以下の懲役若しくは禁錮又は十万円以下の罰金に処する。

出入国管理及び難民認定法
  (上陸の拒否)
第 五条 次の各号のいずれかに該当する外国人は、本邦に上陸することができない。
一〜十(略)
十 一 日本国憲法又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを企て、若しくは主張し、又はこれを企て若しくは主張する政党その他の団体を結成し、若しくはこれに加入している者
 十 二 次に掲げる政党その他の団体を結成し、若しくはこれに加入し、又はこれと密接な関係を有する者
  イ  公務員であるという理由により、公務員に暴行を加え、又は公務員を殺傷することを勧奨する政党その他の団体
  ロ  公共の施設を不法に損傷し、又は破壊することを勧奨する政党その他の団体
  ハ  工場事業場における安全保持の施設の正常な維持又は運行を停廃し、又は妨げるような争議行為を勧奨する政党その他の団体
 十 三 第十一号又は前号に規定する政党その他の団体の目的を達するため、印刷物、映画その他の文書図画を作成し、頒布し、又は展示することを企てる者
 十 四 前各号に掲げる者を除くほか、法務大臣において日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者

06/08/10 時事通信
◎「摂理」幹部、入管法違反で告発=日本リーダー格女性−資格外活動容疑で弁護士ら
> 多数の女性信者が教祖による性的暴行やいたずらの被害を受けたとされる韓国のカルト集団「摂理」をめぐる問題で、脱会を支援する弁護士らが10日、千葉市在住の教団幹部の韓国人女性(44)について、入管難民法違反(資格外活動)の疑いで、千葉県警に告発状を提出した。
  弁護士らは、女性幹部が日本でのリーダー格で、教祖の鄭明析容疑者(61)=強姦(ごうかん)容疑で国際手配=の好みの日本人女性信者を選び、同容疑者の元に送り込む役を務めていたとみている。
  弁護士らによると、女性幹部は「技術」の在留資格を取得し、資格外の宗教活動をしていた疑いがある。外国人の在留には「宗教」の資格もあるが、摂理は宗教団体であることを隠して若者らを勧誘している。このため、女性幹部は「技術」の資格で日本企業勤めを装っていたとみられる。<

小説 『悪魔の詩』 訳者殺人事件
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/syousetu.htm
>1991年(平成3年)7月11日、『悪魔の詩』の日本語翻訳者の筑波大学助教授の五十嵐一(ひとし/44歳)が大学構内で何者かによって刺殺された。犯人は分かっていないが、シーア派イスラム教徒のイラン人によって「処刑」されたという見方が有力なようである。
 その理由として、この事件の少し前にイタリアのミラノで、同じく『悪魔の詩』のイタリア語の翻訳者がイラン人と名乗る男に襲われて重傷を負っており、また、五十嵐助教授殺害のすぐあとに、イランの日刊紙『サラーム』がこの事件を評して「全世界のイスラム教徒にとって朗報である」「イスラム教徒が処刑実行責任者の適当なタイミングを計っていることを世界に示した」という論評を載せていることであった。<

 話が横道にそれた。下劣な支那・朝鮮人のために貴重なページを割くのはこの辺にして話を元に戻そう。

 負け方が悲惨だったあまり「戦争は悲惨だ。その戦争をした日本は悪だ。戦争を避けるため平和外交に徹するべきだ。」というもっともらしい反戦主張をして止まない輩がマスゴミをはじめ多数いるが、私には現実から目をそらしている平和ボケ教信仰者にしか見えない。「平和」というお題目を唱えれば本気で平和が来ると思っているらしい。無抵抗であれば平和が得られると思うのは甘い幻想に過ぎない。いや、逆に想像力が乏しいというべきか。思考停止の極みに陥っている。この世に悪がある限り、抑止力がなければ平和は手に入らない。それが厳しい現実なのだ。脳天気にもほどがある。

 書いているうちに嫌な例がまた増えた。日本が不戦のために手出しをしないことを知っている連中は平気で荒っぽいことをやってくる。漁船「第31吉進丸」、僅か4.9tしかない木の葉のような漁師舟に対して銃撃をした馬鹿がいる。北方領土の領海内であれば我が国の領海である。実効支配しているのが露助だとしても係争中の領域だし相手は丸腰のちっぽけな漁船なのだからことさら慎重に対処すべきであろう。しかし露西亜の公務員はそのような常識を有する民族ではなかったということだ。人殺しをしたのである。しかも、こともあろうにそれを日本のせいにしたのである。殺されて当然という主張をしているのである。これが露助なのである。最初に思いっきり高圧的な態度に出るのが交渉のセオリーだという安っぽい見本だ。当然下げなければいけない身勝手な主張をあたかも譲歩としてカードに使えるからだ。第三者から見られても恥ずかしくないよう公平中立な見解をと第一に心懸ける日本人とは異質な存在が外国人なのである。善人は心を鬼にしなければ悪人には勝てない。言い逃れを許してはならない。露助の悪事に泣き寝入りすれば支那・朝鮮も平気で発砲するようになるだろう。事実、尖閣諸島上陸を目的とした台湾の船は海上保安庁の巡視船に対して投石を始めた。日本の官憲に攻撃を仕掛けたのである。これを放免すればどうなるか。つけあがるだけである。再発は防げないこととなる。いずれ支那も真似をするであろう。
 南鮮が勝手に李承晩ラインなるものを宣言して多数の日本人漁民を殺したばかりか竹島を武力で侵略しているのも、支那原潜が潜行したまま我が国の領海に侵入したりガス田を盗掘したりするのも、北鮮の武装工作船が数え切れないほど日本に侵入し日本人を多数拉致して返さないのも、日本は戦わないということを知っているからなのである。無抵抗では平和は得られないのである。これは中東問題でも分かる。パレスチナやレバノンが平和を唱え無抵抗に徹すれば問題解決となるか。なりはしない。イスラエルによって完全に征圧されるであろう。逆にイスラエルだってそうだ。だからイスラエルは究極の抑止のために核を持つ。そうしなければあの地域で生き残れないからだ。米ソが直接戦わなかったのはお互いに核を持っているからだ。だから、日本の総理大臣が靖国でしなければならないのは、不戦の誓いだけでなく、「もし日本が攻撃されたら、敵を蹴散らします。いざという時には我々も後に続きます。」と誓わなければならないのである。この意志を不埒な外敵に明示することが抑止力となるのである。英霊はこの国を守るために散っていったのであるから子孫である我々もその尊い精神を受け継ぎ国を守っていかなければならないのである。彼らの献身的な行為があったからこそ今の日本の平和と繁栄があるのである。もし日本がぶざまな国であったら一目も二目も置かれることなく世界から蔑まれ戦後の発展はなかったと言えよう。いざとなったら命懸けでやる国だし、決して逃げないで責任を果たすということを最後まで実証したから蔑ろにされなかったのだ。だがそれは日本が自虐的に自己否定する度にメッキが剥げ落ちるように効力を失い、今となっては支那・朝鮮にさえ愚弄されるようになってしまった。

 負けたから悪者とされているのである。歴史は勝者を肯定するために書かれる。真実は絶対的な存在ではなく容易にねじ曲げられるものである。支那・朝鮮の反日教育がいい例である。自国を絶対善、日本を絶対悪とし、こともあろうに嘘で塗り固めた歴史教育をしているのである。嘘も百回言えば真実になるを実践しているのである。捏造された南京虐殺・従軍慰安婦・強制連行、自衛なのに侵略の汚名、日本の一地方として内地から莫大な税金を投下して近代化したのに植民地支配と妄言を吐いている。朝鮮は日本の植民地ではなく日本だったのである。奴隷制をしいていた低俗な鮮人を高潔な日本人としてしまったのである。日本の犯した過ちを言うならば、併合の求めに応じてどうしようもなく愚劣な朝鮮を日本にしてしまったことである。
 捏造は犯罪である。それは自国民に嘘の教育をしているという内政に関する罪で止まるわけでなく、日本人に対して明らかな罪となるばかりか世界各国に対しても罪である。日の丸を踏みにじって焼いたり、馬鹿げたデモをしたり、領事館に投石したり、領事の公用車を襲撃したりするのは、反日教育の賜物(笑)であろう。日本人は悪いのだから日本人に対しては何をしても許される、そんな教育を受けているからに他ならない。これは、サッカーの試合も見ても分かる。選手生命に関わるような深刻な怪我をしてもおかしくないような汚いファールを躊躇なく犯してくるのである。
 あろうことかその反日教育のツケを日本に払わそうとしているのが今の支那・朝鮮なのである。東南アジアにはその尻馬に乗ろうとしている動きも出始めている。日本が言われるまま黙っているからだ。靖国問題だって最初に中曽根が無礼なことを言うなとピシャリとはねつければよかったのである。彼らは瀬踏みしながら徐々に主張を強めて今にいたっているではないか。最初はおっかなびっくり言っていたのが、今は誰でも平気で言うまでになった。失礼なことを言うなと一言言えば終わっていたはずである。つけあがるのが彼らの悪しき習性である。

 嘘を嘘と指摘し、真実を述べなければ悪は増長する。ふざけるんじゃない、日本がツケを払う謂われはない。歴史認識を正さなければならないのは己の方であろう。自分で蒔いた種は自分で刈れ支那・朝鮮!勝手に自滅してくれ。だが、援助の手はさしのべる気はない。歴史を振り返れば、日本が援助の手をさしのべた結果、恩を仇で返す愚劣な反日国家である支那・朝鮮をここまで育ててしまったのだから、二度と同じ過ちを犯すつもりはない。泣き女のように嘘泣きして頼んでも駄目だ。自己責任をとれということだ。

 日本人が靖国神社にお参りするのは、ただひたすらに亡くなられた方々に対してお参りしているのである。ありもしない支那・朝鮮への侵略が成功しますようにと祈願しに行く場所ではない。支那・朝鮮に何ら迷惑はかけていない。何故ならば、靖国神社を嫌う、つまり靖国神社を信仰しない彼らには痛くも痒くもない話で捨て置けばいいだけのことである。外国人に日本の神道文化を理解してもらう必要などない。ところが、気になってしょうがなくてデモをしたり日の丸を焼かなきゃ気持ちが治まらないというのは、頭がおかしいか嘘をついているか異教徒迫害に快楽を感じているかのどれかであろう。こういう外国人は理解はおろか対話することすらできないであろう。ここで認識すべきは、反日デモを行ったり、国旗を焼いたり、投石したりするのは明らかな実害であるということである。仮に気に入らないことがあったとしても、だからと言ってそんなことをしてもいいことにはならない。
 伊藤博文を暗殺したテロリスト安重根は英雄としてあがめられており、小泉死ねという趣旨のプラカードまで用意している。まがりなりにも国交のある友好国の国旗を土足で国会議員が踏みにじったり焼いたりすることを助長したり暗殺者を英雄視する国家とはどういう精神構造の国家なのか。かてて加えて総理大臣をはじめ国会議員に対して靖国に参拝するなと言うのは、国会議員に対する圧力だけでなく、当然参拝すべきだと思っている多くの日本人の心を踏みにじる行為でもある。支那・朝鮮人の方こそ日本人に多大な迷惑をかけているのである。それも積極的にである。
 靖国神社参拝を妨害してきたことを反省し謝罪するまで首脳会談する必要などない。そんな国とは国交すら必要性を感じない。それほど日本が気にくわないなら在日自国民に対する帰国事業を始めるべきであろう。これ以上日本に迷惑をかけるな。一刻も早く出て行け。日本としては愚劣な国とは距離を置く方が国益に適うから好都合だ。日本と付き合えなければ困るのは支那・朝鮮の方だと気付いても後でストーカーのように近づいて来るな。汚らわしいだけだ。目の前から消え失せろ。
李承晩ライン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%89%BF%E6%99%A9%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3
李承晩ライン(りしょうばんライン[1]、이승만 라인)は、1952年(昭和27年)1月18日、大韓民国(韓国)大統領・李承晩の海洋主権宣言に基づき設定された漁船立入禁止線。韓国では「平和線」と宣言された。
海洋資源の保護のため、韓国付近の公海での漁業を韓国籍以外の漁船で行うことを禁止したものであるが、本当の狙いは韓国で獨島(日本の漢字では「独島」)と呼ばれている竹島と対馬の領有を主張するためのものであった。
これに違反したとされた漁船(主として日本国籍)は韓国側による臨検・拿捕の対象となり、銃撃される事態まで起こった。
国際法上の慣例を無視した措置として日米側は強く抗議したが、このラインの廃止は1965年(昭和40年)の日韓漁業協定の成立まで待たなくてはならなかった。協定が成立するまでの13年間に、韓国による日本人抑留者は3,929人、拿捕された船舶数は328隻、死傷者は44人を数えた。
李承晩ラインの問題を解決するにあたり、日本政府は韓国政府の要求に応じて、日本人抑留者の返還と引き換えに、常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として収監されていた在日韓国人・朝鮮人472人を収容所より放免して在留特別許可を与えた。

 ふざけた宣言だ。平和線ではなく戦争線であろう。それに犯罪者に対しては在留許可でなく強制送還であろうに。鮮人の言いなりになることが友好ではない。彼らは日本と友好しようとしているのではない。いかにして搾取するか、いかにして日本を下に置き、日本を支配するかを考えているのである。だから日本はいいようにされ悪くなる一方である。

 日本人は「友好第一」、「友好のためには相手の言い分を聞かなければならない」と思い込んでいるが、それは日本人同士の時だけ通用する崇高な概念であろう。外国人を相手にする時は決してそうではない。それは悪戯に譲歩を繰り返すだけでいつになっても友好が得られないというとんでもない状況を招くからだ。友好関係にあるのだから譲歩しなければならないと考えるのであれば食い物にされるだけだ。おまけに苦痛の持続を伴う。日韓基本条約、日中平和友好条約、日朝平壌宣言を読めば、支那・朝鮮人に約束という概念が通用しないことがわかる。彼らに遵法精神を感じられないのはそういうことなのかもしれない。友好のためにを目的とするのは道を誤るということだ。友好でない相手と友好関係を築くためには何が懸案事項となっているかを特定し、それを解決していくことである。そうすれば友好の妨げとなっている障害はなくなっていき友好関係に近づいていく。日本人はまず友好関係を結べば問題が解決すると思っているがプロセスは全く逆なのだ。何も全てを解決する必要はない。譲れない部分は譲れないでいいのだ。価値観の違う国同士なのだから当たり前の話だ。それを分かってどのような付き合い方をするか決めればいいのである。(この「友好」についての考え方は、「闘え、日本人」日下公人(著)を参考にしました。関連記事:闘え、日本人 http://understarrysky.seesaa.net/article/14663289.html
06/08/17 時事通信
◎「めぐみさん生存の証拠示せ」=日本の対応批判−韓国家族会代表
 【ソウル17日時事】北朝鮮による韓国人拉致被害者の家族で構成する「拉北者家族会」の崔成竜代表は17日、日本人拉致被害者の横田めぐみさんについて「日本政府はめぐみさんが生きているという証拠があるなら公開する必要がある。証拠もないのに、うわさだけで世論を誘導するのはよくない」と述べ、日本政府の対応を批判した。時事通信の取材に答えた。 崔氏は、北朝鮮が日本政府にめぐみさんのものとして示した遺骨について、「警察庁科学警察研究所では鑑定できなかった」と指摘。また、遺骨を偽物と判断した帝京大の鑑定についても、「日本政府関係者が『帝京大に依頼すると同時に偽物とするよう立場を決めていた』と語った」と主張。鑑定結果が出る前から日本政府が遺骨を偽物と決め付けていたとの見解を示した。 崔氏は、めぐみさんの夫だったとされる金英男さんの家族を支援している。

 一緒に手を携えてやっていきましょうとわざわざ手を差し伸べた横田夫妻の神経を逆撫でする言い分である。人非人の発言である。まさに恩を仇で返すという下劣なる民族の習性が如実に示されたと言える。
<韓国>「親日派」子孫財産の没収 調査委が本格始動
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060818-00000105-mai-int
 韓国大統領の直属組織「親日反民族行為者財産調査委員会」が18日、日本植民地時代の「親日派」子孫の財産に関する調査に着手した。同委員会が植民地支配に協力した功績で得たと決定した財産は、没収され国有化される。ただ、決定に不服な場合は行政訴訟への道を開いており、訴訟が相次ぐ可能性がある。(毎日新聞) - 8月18日20時40分更新

 事後法による不利益遡及を強行しようとしている。まさに狂っているとしか言いようがない。彼らに法治国家はつくれない。こんな国と条約を結ぶとか合意するのは馬鹿げている。

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posted by 日出づる国の末裔 at 18:09 | Comment(9) | TrackBack(1) | 内政 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
マシンガンのようですね。お気持ちよく解ります。私も、途中悔し涙しながら読んでました。その後怒りがこみ上げてきました。
本当に、なんで日本ばっかりがこんなに虐められるの?日本がだらしないから自体は悪化するばかりで、もう少しどうにかならないかと・・・頭がくらくらしてきます。
ここまできたら取り返せない?いつだったら取り返しがついたんだろう・・・?と、過去(その時の政権や国民など)を恨みます。
せめて今からでもやり直したい。未来の人に、今を生きてる人間が恨まれないように・・・(今の私のように)。でも現状を考えると、ありえなさそうで・・・、自分の無力が悔しいです。
Posted by 小雪 at 2006年08月21日 03:37
小雪 様
御無沙汰しておりました。
コメントありがとうございます。読んでいただいている方の存在を感じるのはとても励みになります。特に小雪様からのコメントにはいつも勇気付けられます。
実は新聞は2ヶ月分位読まないまま溜まっています。ブログも1ヶ月位遠ざかっていました。利用していたRSSリーダーの登録サーバーの障害で購読ブログのアドレスが全て消去されてしまい、復旧を待っていたのですが、ダメだったからです。再度他の方のブログを登録しなおすのも大変な作業なので何となくこの世界から遠ざかってしまいました。
それでこれを投稿する時にいくつかは登録し直して現況を把握しようとしたのですが、三輪の何某様のブログがなくなっているのが後で分かりました。とてつもないショックでした。三輪様に触発され図書館でブログ関係の本を借りて見よう見まねで始めたのがこのブログです。三輪様のサイトが妨害工作に遭われていたのであれば憤りを感じます。それほど闇の勢力にとっては邪魔な正論だったということの裏返しなのでしょう。加藤事務所火災の比ではありません。(と言いつつ、いまだに真相が伝わってこないのは不自然でヤラセの可能性を疑いたくなる・・・放火とは断定されていないし(錯)乱を起こした過去のあるあの加藤のコメントが妙に用意周到に感じるし他人事のように沈着冷静なのも不自然だから。自分の家が焼ければ冷静ではいられないと断言できる。)
やってみて分かったのですが、ブログというのもなかなか大変な作業です。それに必要以上の孤独感を味わう作業でもあります。頭脳明晰な方のように毎日短文でサラサラと要点を簡潔に書ければいいのですが、私の場合、気が付くと汚い言葉でグダグダと愚痴を書いてしまっています。それも推敲する度に長くなっています。他人様に読んでいただける体裁を整えるためにすごく時間がかかっています。ということは他人を馬鹿呼ばわりしているくせに実は自分も相当頭が悪いということです。自己弁護すれば支那・朝鮮とポチらの悪事が毎日毎日ありすぎて追い切れないということもありますが(笑)
そういうわけで私もいつまで続けることができるか分からないというのが正直なところです。止めれば楽になるということを知っているからです。

最後に、支那・朝鮮に対する言葉を試しに短く表現してみようと思います。
「戦後生まれの私が戦後生まれのお前らにとやかく言われる筋合いはない。これまでとやかく言ったことについて我々がもういいと言うまで永遠に謝罪し続けろ。」
Posted by 日出づる国の末裔 at 2006年08月22日 03:54
ブログは大変だと思います。「孤独感」とかもよくわかります。なので何もできない私に出来ることは「応援すること」くらいだと分かっているんですが、なかなか果たせずにいて本当にごめんなさい。自分の文才のなさが恥ずかしくなって、いつもコメントした後で、「書かなければ良かった」とか「もう少しマシなことは書けないのか」とかって後悔するのです・・・。(ーー;)三輪さんが閉鎖してしまった影響で日出づる国の末裔さまも止めてしまわないかとても心配していました。更新があったので嬉しくなって思わずコメントしました。止めてしまわれたらとても淋しいので、続けてくれると嬉しいです。なるべく・・・たまの更新でもいいので、できるだけ続けてくださいね。

http://otama.livedoor.biz/archives/50574878.html#comments

三輪さんはもう何処かで新しいブログを再開しているようですが、私もまだ教えてもらえていません(__)
Posted by 小雪 at 2006年08月23日 20:48
文章内に激しくミスのある点があったので一言。
靖国にまつられている方の中には、様々な宗教・宗派の方がおられるため、神道礼式はあくまで通例であり、遺族によっては合掌のみの方もいらっしゃいます。悼みの気持ちを表すには、必ずしも神道式の必要はありません。英霊の方それぞれにある様式で構わないのです。御間違えなきよう
Posted by あの。 at 2006年08月24日 05:36
小雪 様
 いつもコメントありがとうございます。
 このブログは自分の趣味のためにやっているわけではないのでいつか止める時が来ると思います。多分、その時は挨拶なしで自然消滅にまかせる可能性大です。
 ですからいい機会なので今のうちに小雪様に感謝の気持ちをお伝えしておきます。
 チャンネル桜時代から小雪様にはいつも助けられています。本当です。お心遣い感謝しています。ありがとうございます。

 時間と気力がある限り、そして日本が存続する可能性を感じられる限り、できるだけ続けようとは思っていますのでよろしくお願い申し上げます。


あの。 様
 コメントありがとうございます。
 よくお読みになっていただければ分かると思いますが、私が問題にしたのは小泉についてです。一般の方が行う合掌等の参拝方法を認めないと言っているのではありませんので誤解のないよう願います。

 形を守るということはとても大事なことだと思います。形は文化ですから。郷に入りては郷に従えという洋の東西を問わない大原則を持ち出すまでもなく、キリスト教の教会やイスラム教のモスクを訪問する時に何かのきまりがあるのなら私はそれに従います。アメリカ先住民やアボリジニーの聖地を訪れる時もそうします。それは礼儀でもありますから。
 例えば、一神教であるキリスト教の100%の信者なら自分の親が祀られていても靖国神社になんか参拝に来ないと思います。何度も言うように墓ではないのですから異教徒が来る理由がありません。それなのに参拝しに来るのは日本人として少しは信じている部分があるからじゃないでしょうか。だったら普通に神道形式で参拝するのも「日本人として有り」だと思いますが。その時はその時、あれはあれ、これはこれと臨機応変に対処するのではなく、どこまでも我を通してキリスト教を信仰したまま同時に別な信仰を心に入れて両者の存在を気にしながら参拝するということができるのでしょうか。それは両者に対する冒涜みたいなものになりはしませんでしょうか。そういう行為については一体どのような位置づけがなされるのでしょうか。宗教によっては、靖国神社に参拝する行為は教義上違反にはならないけれど、参拝の形式が違反になるというルールがあるのでしょうか。例えば、キリスト教ではどうなっているのでしょうか。靖国神社に英霊が存在することを認めているのでしょうか。私の場合、異教だからという理由で合掌だけで済ませた人を実際に知らないし、仮に目にしたとしてもそれが宗教上の何らかの要請によるものなのか、単に形を知らないだけなのか、照れくさいのか、混雑していて時間がないからなのか、一人一人に質問したこともないし調べるつもりもありません。そんな質問をして御遺族の参拝の邪魔をしたくないからです。
 前書きが長くなりましたが、誤解のないように願います。御遺族がそれぞれの主義信条で参拝するのを邪魔だてするつもりは毛頭ありません。私が問題視したのは小泉の振る舞いについてです。彼はまがりなりにも日本国総理大臣です。靖国神社に参拝するのは総理大臣として当然の責務だというのが私の主張ですから後は言わずもがなでしょう。一部他の宗教の方々が祀られているからと言って神道形式による参拝をやめなければならないということにはならないと思います。儀式は形を守る行為そのものです。もし、麻生が総理大臣になったら、いくら彼がクリスチャンであっても参拝するのであればきちんと神道形式で参拝すべきだと思います。それがこの日本国の形だし、靖国神社や御英霊に対するマナーだと思うからです。
 形、形と主張しましたが、心がこもっていれば本来形は重要ではありません。当たり前と言えば当たり前ですが、神道形式なら御英霊に祈りが届いてそうでないと届かないという科学的な証明があるわけでないのに、何故ここまで形にこだわった主張をしているかと言えば、形というものは守るべき人が守っていかないと簡単になくなってしまうものだからです。抽象的なもの(形のないもの)を守っていくために人々は形を編み出したと言えます。本質を忘れれば形骸化と言われますが、少なくとも形が残っていれば本質を思い出すことができます。ところが、その形がどうでもいい、なくてもいいというあやふやな存在になってしまえば本質さえも失われていくでしょう。形とはそういうものです。何かの文言を刻んだ碑だって同じこと。永く維持していくために見える形にしているのです。
 形を軽視するのはその国の伝統・文化を軽視することに繋がります。一事が万事。世界統一国家になればいい、無色透明がいい、日本という国に未練はないというのであれば別ですが、そんな説には私は反対の立場です。
Posted by 日出づる国の末裔 at 2006年08月25日 08:06
ええと、どの文章に答えていいものか困りますが・・。
小泉総理に対するものである、という点は理解しました。
ですが、靖国では、必ずしも神道方式である必要はありません。何も拝観者に聞かずとも、宮司さんに聞いていただいてもよいと思います。
形を大事にする事も必要ですね。例えば、自身が仏教徒であろうと、キリスト教徒の友人の式には、キリスト教の礼式で出るのは当然です。しかしながら、靖国の場合とこれは全く別の問題です。
御自身がおっしゃられるように、靖国には靖国や日本という国家に参拝しに訪問するわけではないのです。この点が大きく異なるのです。厳密な意味分け上、靖国が神道の神社ではないのはご存知ですよね。
また、そもそも排仏帰社は全国民対象ではなく、そのため、英霊の方にも仏教徒としてまつられている方もいらっしゃいます。その方に訪弔に訪れた遺族の方が、仏教式に参拝することには、やはり必要性と意味が十分に見て取れるとおもいますが。
御自身が文章後半におっしゃられるように、統一国家がおきるのは難しいでしょうし、文化は保全されるべきでしょうし、同様に靖国での礼式が通例に縛られる必要もありません。
管理人様の御考えはわかりますが、靖国の事実とは解離しているのではないでしょうか?
Posted by あの at 2006年08月26日 06:39
あの 様
 御説は個人の参拝方式が自由なのだから総理大臣の参拝方式も自由であるべきだという論理に解釈させていただきました。
 残念ながら私は違う考えを持っています。総理大臣であるからこそ形に則れということです。ただそれだけです。

 私の場合、家族が祀られているわけではありませんので、特定の誰かだけを参拝しに行くのではありません。仏教徒、キリスト教徒分け隔てなく日本のために命を捧げられた方々全体を参拝するために靖国に行きます。こうして自分が存在するのも多くの方々の尊い犠牲によるものだからという気持ちがあるからです。また、祀られた方々はひとつになっていて分けることができないというのも御存知のことと思います。
 参拝にあたっては、神社に祀られているのだから神道形式で参拝する形をとることに何の違和感もありません。むしろふさわしいことだと思っています。総理大臣が参拝する時も同じ事です。
 仏教徒が仏教徒だけ、キリスト教徒がキリスト教徒だけをそれぞれの参拝形式で参拝したいというのであればそれも自由ということなのでしょう。でも、自分の家族に対する参拝でいいというのも寂しい気がします。墓ではないのですから。ま、これについては内心の自由なので何も言いますまい。
Posted by 日出づる国の末裔 at 2006年08月26日 14:49
日出づる国の末裔さま

そ・そんな「お別れの準備」みたいなこと言わないで・・・(~_~;)哀しくなるから。

また移転する準備中のようですが、取り敢えず見つけたので報告します。やめないみたいです。良かった(*^。^*)

三輪のレッドアラート!
http://blog.goo.ne.jp/battlestation
Posted by 小雪 at 2006年08月28日 03:33
小雪 様
 ありがとうございます。お返事が遅くなって申し訳ありません。プライベートで色々やることがあって更新が滞っています。でも自分のブログだけは毎日チェックしています。実は昨日このコメントを書こうとしていたのですが、書いているうちに色々膨らんでかなり長くなって、しかも、途中で座ったまま寝てしまって気付いたらPCがフリーズしていました。少しいい出来だったので消えてしまって残念です。
 三輪様お元気そうで何よりです。勇気百倍です。
 小雪様のコメントはいつもグッドタイミングで、このブログに欠かせない存在だと思っています。
Posted by 日出づる国の末裔 at 2006年09月01日 03:23
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