2006年09月08日

皇孫殿下お誕生おめでとうございます

 日本を守るべくしてお生まれになった方のような気がする。
 

GUM09_CL07003.jpg

  祝 男子誕生!

  正に天の御配慮







 いろいろな方のコメントを目にしたが、人間国宝天田昭治さんのコメントは実感が籠もっている。
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2006年03月05日

皇室典範改悪 その4

 女性天皇の容認については、両手を挙げて賛成するのではなく、あくまでも男系への繋ぎ役となるワンポイントとしてだということを条件として確実なものにするのを忘れてはならない。つまり皇統(男系)維持のための緊急避難的措置ということである。このことを国民全体が分かっていれば問題にならないが、そうではないから問題になるのである。
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2006年02月27日

2月23日は皇太子さまのお誕生日

お誕生日おめでとうございます。
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2006年02月07日

皇統(男系)断絶派の巻き返しに注意せよ

皇統断絶を目論む小泉の悪巧みに水を差すような天の御配慮。
紀子さまご懐妊、おめでとうございます。

だが、浮かれてばかりいてはいけない。
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2006年02月04日

皇室典範改悪 その3−(追記)

 昨夜投稿した「皇室典範改悪 その3」は、条件反射的に書き殴ってしまったので補足します。

 堀田氏が主張する権利論を認める気は全くないが、敢えて彼の土俵に乗って話を進めてみよう。私レベルの脳細胞が彼の高度な脳を上手くシミュレートできるかどうかわからないが、取り敢えずやってみよう。想像力の訓練だ。   続きを読む

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皇室典範改悪 その3

 先程、報道ステーションを見て驚いた。
 古館から皇室典範改正に関する見解を問われた堀田弁護士が、憲法上男女は同権なのだから、女が天皇になれないのはおかしい、さっさと改正してしまえばいい、本当は憲法を作った時に併せて改正しておくべきだった、という趣旨のことを言ったのだ。
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2006年01月06日

皇室典範改悪 その2

天皇と定めれば天皇となるのではない。
権威があるから天皇なのである。

Y染色体は男子にしか受け継がれない

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2005年12月22日

皇室典範改悪

天皇制があったからこそ日本は壊滅を免れてきたのである。政権が転覆したり、国土が破壊され、焦土と化し、また、侵略されたとしても民族としての伝統・文化は断・しない。今はやりの言葉を使えばフェイル・セーフ(Fail Safe)とかリスク管理と言えるのではないか。誰かがそこまで考え抜いて作った仕組みとはなかなか想像できないから奇跡に思えるのである。民が精神的支柱を一にしてまとまれば、国は再興できるのである。逆に国体と言うべきものがない国は歴史から消え去る運命にある。心の拠り所がないからである。仮に新しい国ができてもそれは勝者によって歴史が都合よく書き換えられてしまうのが世界の現実である。TVゲームのリセットと同じで、それまでの経験値はパーとなる。民族としての連綿とした記憶が消去されてしまうのである。歴史的継続性が断絶することから、それまで醸成されてきた民族としての倫理観・道徳観・価値観などの精神面の遺産も受け揃がれないこととなる。支那・朝鮮が非礼・非道・非常識なのはこういう背景があるからであろう。彼らには時間軸という概念が欠落しているのである。事後法による不利益遡及も平気でやるのである。今が全て、金こそ全てなのである。過去も未来も関係のない生き様である。これに対して日本は負の歴史すら受け揃ぎ逆に教訓としてきたからこそ民族として成長してきたように思う。だが、それがお人好しに過ぎる結果となって、仇(あだ)となっている。

今の日本で問題なのは、日本がこうして存在していることを当たり前のように思ってる人々が沢山いることである。この世は全てバランスで成り立っているということに少しは想像力を働かせて欲しい。存在させてきたからこそ存在するのであって、そのことを忘れれば危うい。物が静止しているように見えても目に見えない力が働いている。重力は一瞬も休むことなく作用しているのである。つっかえ棒や浮き輪がなくなれば、倒れるし、沈むのである。これまでの尊い犠牲にうえに今の日本があることに思いを馳せるべきである。
また、特に日本の周辺国が、実は、属さをする存在、つまり、実態としては敵対国家であるという現実から目を逸らせて人類皆兄弟平和ボケ教に浸るのももうこの辺で止めにしてもらわなければならない。そんなお題目をいくら唱えても、拉致家族、竹島、北方領土、ガス田のガスは還ってこないし、世界平和も訪れない。宗教ではないのだから信じても救われない。それが現実の世界なのだ。憲法第九条とは、警察組織のない町で山賊がいるのに自ら手錠をして歩くようなものである。

日本は、戦後60年という長い年月に亘って憲法第九条による平和を盲信してきたが、もう限界であろう。答えは出ている。外国が日本の平和を守ってくれるわけではない。逆に日本の平和を脅かしているのが外国である。ちょっかいを出されても自分で自分の国を守ろうとしないでどうする。攻めてきたら叩き潰すという覚悟のない国はいい鴨でしかない。そろそろ長い夢から覚醒し現実を直視すべきである

話が他し脱線したので元に戻そう。

忘れてならないのは、天皇が人々から慕われ、敬われるのは、誰にも侵すことのできない尊い存在だからである。壊れやすいから尊いのである。神秘性と言ってもいい。皇族からでなくてはなれない存在だから天皇なのである。ところが、ワンポイントの女性天皇(子供は皇位を揃承しない)ではなく、女系天皇(子供が皇位を揃承する)を認めるということは、男子にしか伝わらないY染色体がそこで途絶えてしまうということになる。その後はぶつ切り状態となる。これは、日本の歴史とともに今まで連綿と受け揃がれてきた神秘性がなくなることを意味する。即ち、皇統断絶である。もはや天皇とは言えない。人々が天皇に権威を感じる根拠ががなくなるとどういうことになるのか。恐ろしい結末である。

権威のある存在 権威を感じない形式だけの存在 誰でもいい、どうでもいい存在 邪魔な存在

つまり、天皇なんていなくてもいいということになる

小泉がやろうとしていることは、天皇制の存続ではなく、廃止なのである。
存続に名を借りた廃止であるということに気付かなければならない。

実は、その兆しは既にあった。先の衆院の郵政民営化解散で、小泉は天皇陛下を軽んじたのである。何のことかと言えば、参院で否決になった後、衆院で再度採決する手続きを経ることなく解散に及んだことである。あの解散は、内閣総理大臣が行う解散ではなく、天皇の国事行為としての解散であった。わざわざ天皇陛下のお手を煩わせようとするのであれば、人事を尽くしてから奏上する義務があると考える。なぜならば万が一にも間違いは許されないからである。あらゆる可能性を潰して、これしか方法がないと言える状態になって初めて陛下に奏上できるのではないだろうか。良識によるチェックが必要である。国論が二分しているだけでなく手続き的にもケチがつくような内容をそのまま持ち込むということは、普通ならあり得ない。陛下の前に出しても恥ずかしくない状態にしてから奏上しなくてはならないはずだ。神に誓ってこれは正しい内容と言える状態にしているはずだからこそ天皇陛下は臣下に全幅の信頼を寄せて同意することになるのである。あのごり押し解散で小泉は自らの野望を遂げるため畏れ多くも今上陛下を道具として使ったのである。天皇陛下を敬う気持ちは小泉からは感じられない。小泉は不敬罪と言えよう。

よしんば形だけの天皇制が存続したとしても悪用されかねない。皇室さえ乗っ取ることが可能となるからだ。時の権力者が自分の子供を皇室に送り込みその子を天皇にして国を支配しようとすると結果として混乱の世を迎えてしまうのは歴史が証明していることである。どこの馬の骨でも外国人でも皇族として創設され天皇の父親になれるということは、小泉言語を使えば天皇制の民営化なのであろうが、完全に間違っている。日本にとって良いことではない。国の存続を担保してきた仕組みが今正に破壊されようとしている。

廃止はもとより天皇制を形骸化させることは、総理大臣の権力を唯一無二で最強のものとすることと同義であり、これは大統領のような総理大臣を目指して独裁色を強めている小泉を見ると十分に動機があることである。彼が行っているのは日本社会の構造改革ではなく破壊である。

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posted by 日出づる国の末裔 at 07:31 | Comment(0) | TrackBack(8) | 世界に類を見ない天皇制 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

天皇陛下の作文の写し発見

「暗澹たる現実」からの続きです。

新聞報道によると、今上陛下が皇太子時代に学んだ学習院初等科教師が残した資料が見つかり、山梨県甲州市の笛吹川芸術文庫(平成19年開館予定)が12月5日に報道関係者に公開したとのこと。陛下のものとみられる作文の写しなどが含まれ、学習院大の斉藤利彦教授(教育学)は「天皇陛下の少年時代の心の動きが分かる大変貴重な資料」としており、「新年」と題する作文には、
「私はべんきやうも運動もよくして、大きくなつたら、日本をせをつて立つ人にならなければなりません」と書かれているとのこと。

純真で健気な御心に触れ、国民として大変有難く、また、頼もしく感じる。民の幸せを真に願う天皇を頂く国民は幸せである。天皇制とはこういうことなのだと今更ながらに思う。日本の国はこれまでうまく機能してきたのだ。

政界や財界で他を蹴り落として頂点に登りつめた者がいくら権力を握ろうと、その者は唯一無二の権力者には成り得ないという仕組みは貴重である。権力の座に納まるのが恒に世のため人のために働く善人だという保証はないからだ。どこかの国みたいに独裁者が長期間権勢を振るい続けるのは、天皇制がある限りこの日本では難しいこととなる。人心の向く対象が他にあるということが牽制になる。実質的な力による支配が及ばない世界があるのである。それは国民の内心、つまり精神世界にある。為政者が阿漕(あこぎ)であればあるほど天皇とは逆の負の存在として際立つこととなるのである。

実社会で頂点を目指す者は、頂点に立ちたくて上を目指す。自分のためである。世のため人のため働こうとする者がいないとは言い切れないが、それはあくまでも副次的なものであろう。目的を達成すればそのような善政を行おうとするかもしれないのではと思う人もいるかもしれないが、そうは問屋が卸さないのである。頂点から引き摺り降ろされないよう十中八九保身に走るのである。できるだけ長く権力の座に座ろうとするため画策するのである。だから国民のことは二の次になる。

これに対して天皇は、既に天皇という地位にあり、上を目指す必要も金儲けなどする必要もない。自ずと民のためにあるという発想になるのではないのだろうか。民から慕われ、敬われる存在であろうとすることが天皇が天皇であることの意義とも言える。絶対的地位にありながら濫りに力を誇示することなく時の政権とうまくバランスを取りながら権威を保ってきたからこそこれまで存続してきたのだと思う。日本という大きな家の父として、日本人の範として、性善説を象徴する存在として人々から敬われ、慕われる存在なのだ。権威とは、従わせるものではなく、人々が感じるものなのである。しかし、その重責はいかばかりか。押し潰されそうで私のような庶民には想像できない。たった一人の存在である天皇に終生のしかかるのである。だから皇族という集団体制で支えてきたのであろう。

為政者は民を支配できるが天皇を蔑ろにすることはできない。蔑ろにしたら人心が離れて政権が転覆してしまう虞があるからだ。天皇は力では為政者には敵わないが、天命として民のことを常に気遣う。民は為政者に支配されるが、自分達のことを想ってくれる天皇を精神的支柱として尊敬する。民を苦しめると天皇が憂えることとなり、天皇を苦しめることは政権の存続が危ぶまれる事態にも繋がることから為政者には良心や常識が働く。つまりは、極論すれば、天皇のためにというのは、巡り巡って自分達のためにとも言えるのではないだろうか。

今上陛下の父君である昭和天皇が在位50年の時に詠んだ歌

「喜びも悲しみも皆国民とともに過ぐしきぬこの五十年を」


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